2010年3月27日土曜日

嗚呼属国日本! 普天間移設問題  結局自民党案で決着か?




民主党が騒いだ普天間基地移設問題は、結局当初自民党が進めていた辺野古地区移設案と大差のない方向で決着しそうな見通しになった。

普天間移設、「シュワブ陸上案」が強まる

≪米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で二十六日、政府案が米軍キャンプ・シュワブ陸上部(同県名護市)に絞り込まれる線が強まった。
政府が検討してきた米軍ホワイトビーチ(沖縄県うるま市)沖の埋め立て案は、沖縄に新たな米軍基地をつくることになる上、人工島の建設には十五年程度を要するため、政府に否定的な意見が出てきた。≫ 


普天間基地代替施設移設問題

周知のごとく、沖縄本島は1207.66km²と決して広くない面積に、人口が123万人も存在する過密な島である。島全体が一つの行政指定都市を形成しているようなものである。
その島内の20%が進駐軍基地と異様な状況を呈している。
島全体が一つの進駐軍基地を形成しており、その周辺に住民が生活している状況である。城下町に広大な武家屋敷が並び、町民が片隅で暮らしているのと似ている。

28箇所ある進駐軍基地の中でも最悪の環境と言われているのが普天間基地である。基地の周辺を市街地がドーナツ状に形成されているのである。

軍事基地としての体裁をなしていないことは誰の目にも明らかなので、かなり以前から移設問題が浮上していた。勿論、移設による負担は全部日本側がやるという条件である。
しかも、宗主国様は基地の使い勝手のことのみを考えており、「遠いところに移設するのは認めない」とおっしゃっている。

安保条約そのものを破棄しない限り解決するとは思えない問題なのだが、民主党政権は八方美人的な対応をしたので、話がこじれてしまったのである。

自民党みたいに、「宗主国様のイヌコロ丸出し」を全面に出していれば、生じない問題だった。
民主党政権はこの期に及んでまだ県外移設の可能性を口にしているが、それは沖縄県民に言い訳できないので口を濁しているに過ぎない。

キャンプ・シュワブ

≪キャンプ・シュワブの名前の由来は、1947年5月7日沖縄で自らの命を危険にさらし、勇敢かつ剛勇に活躍して名誉勲章を受章したアルバート・E・シュワブ一等兵にちなんで名付けられました。 同施設は沖縄北中央部の久志岳下方傾斜にある小さな半島に位置し、海兵隊で最も歴史の古い第四海兵連隊の本拠地でもあります 。そして部隊配備プログラムに参加している2つの歩兵部隊、戦闘攻撃大隊と第三偵察大隊もすべてキャンプ・シュワブに駐在しています。

即応物資中隊の弾薬小隊、即応物資大隊、第三海兵役務支援軍もまたキャンプ・シュワブに属し、辺野古弾薬補給所の運営をしています。

1944年、日本の海軍潜水艦基地がタンキ浜ビーチ(現在の大浦湾ビーチ)に建設されました。 同施設は、1945年3月に米軍による空爆と砲撃により崩壊されました。 1945年4月5日、米軍がこの地域を占領して補給基地として使用しました。 6月25日、今帰仁村、伊江島、本部町の住民がこの地域に引っ越してきました。 それで人口が4万人近くに増え、大浦崎市と改名されました。 1946年6月にはこの地域に駐在する米軍が撤退し、芋、米やサトウキビ等が耕作されました。 1956年11月、県内でいくつかの基地候補地交渉が行われ、辺野古地区に隣接する大浦崎市が選ばれました。 そして1959年11月、建設工事が終ると最初の海兵隊の部隊がキャンプ・シュワブに到着しました。≫


進駐軍基地問題がほとんど沖縄県に集中していることを好いことに頬被りしている日本人全般の体質も「イヤらしい」としか言いようがない。

日米地位協定

≪この法律の第17条により、合衆国の軍法に服するすべての者に対して(第17条1-a)、また米軍基地内において(第17条1-b反対解釈)、合衆国の法令のすべての刑事及び懲戒の裁判権を日本国において行使する権利を有する。とされ、アメリカ合衆国軍隊が第一次的裁判権を持つ。米軍の軍法に服する者には、日本で罪にならない犯罪でも米国の法令で犯罪となるなら、米軍が専属的裁判権を行使する権利を有する(第17条2-b)。また裁判権が競合する場合でも、公務執行中の作為又は不作為から生ずる場合は、合衆国軍隊の構成員又は軍属に対して米軍が第一次的裁判権を有する(第17条3-a)とされる。≫

身も心も宗主国様に売り渡したバカウヨどもが自己嫌悪に駆られないのも、日本人全体が屈辱感を麻痺させているからに他ならない。


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